大阪地方裁判所 昭和55年(ワ)2295号 判決 1980年11月27日
原告
山中高
ほか一名
被告
川畑巖
主文
一 被告川畑巖夫は、各原告に対し、各金一二九万四四三五円宛および右各金員に対する昭和五四年一一月二七日から各支払済まで各年五分の割合による金員を、各支払え。
二 各原告の同被告に対するその余の各請求および各原告の被告上田武男に対する各請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用中、原告らと被告川畑巖夫との間に生じたものはこれを四分し、その一を原告らの、その余を同被告の、原告らと被告上田武男との間に生じたものは原告らの、各負担とする。
四 この判決は、原告らの勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは各自、各原告に対し、各金五〇〇万円宛および右各金員に対する昭和五四年一一月二七日から各支払済まで各年五分の割合による金員を、各支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 各原告の各請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二請求原因
一 事故の発生
1 日時 昭和五四年一一月二七日午前八時三五分頃
2 場所 奈良県大和郡山市筒井町一、〇五五番地の四先道路(国道二五号線)(以下、本件道路という。)上
3 加害車A 普通乗用自動車(奈五五は第七、五六五号)
右運転者兼所有者 被告川畑
加害車B 普通貨物自動車(奈四四ね第二、七五七号)
右運転者 被告上田
4 被害車 自動二輪車(泉み第三、三一一号)
右運転者 訴外亡山中俊哉(本件事故当時、満二一歳の独身者で、自動車修理工であつた。)
5 態様 加害車Aは、狭路より安全確認もせずに、急激に広路上に飛び出して右折を開始したため、広路上を直進していた被害車をして、追突を回避すべく制動を行わせた結果バランスを失わせ、折から広路対向車線上を走行中の加害車Bに接触させた後、その反動により今度は加害車Aに撃突させるに至つた。
6 結果 訴外亡俊哉は、頸髄損傷、脳底骨折等により、即死した。
二 責任原因
1 被告川畑
イ 人損(運行供用者責任、自賠法三条)
被告川畑は、加害車を所有し、自己のために運行の用に供していた。
ロ 物損(一般不法行為責任、民法七〇九条)
右折進行するに際し、左右の注視および安全確認を怠り、急激に右折した過失。
2 被告上田(一般不法行為責任、民法七〇九条)
前方主注視の過失
三 損害
1 逸失利益―合計、金二一八九万八三八七円
(1) 訴外亡俊哉の収入は、給与月額、金一二万七六〇〇円、特別給与年額、金三二万九八〇〇円、年額合計、金一八六万一〇〇〇円(但し、昭和五三年度の賃金センサス中、男子学歴計の二〇歳ないし二四歳の金額による。)であり、就労可能年数は満六七歳までの四六年間であつた。そこで生活費の控除割合を五〇%とした上、新ホフマン式(係数二三・五三四)により中間利息を控除すると、次の算式のとおり、金二一八九万八三八七円となる。
算式 一八六万一〇〇〇×〇・五×二三・五三四=二一八九万八三八七
(2) 原告らによる権利の承継
原告らは、訴外亡俊哉の両親として、訴外亡俊哉に帰属した右1(1)記載の損害賠償請求権を、法定相続分に従い、各二分の一宛、各相続した。
2 葬儀費―合計、金一五〇万円
但し、原告らは、右葬儀費を、各二分の一宛、各支出した。
3 慰藉料―合計、金一六〇〇万円
各原告につき、各二分の一宛、各請求する。
4 被害車修理代―合計、金七三万〇八八〇円
但し、原告らの右修理代の負担額は、各二分の一宛である。
5 弁護士費用―合計、金一八九万八三八一円
各原告につき、各二分の一宛、各請求する。
6 総合計―金四二〇二万七六四八円
四 損害の填補―合計、金一四〇二万七六四八円
1 原告らは、自賠責保険より、右金員につき各二分の一宛、各支払を受けた。
2 したがつて、原告らの残損害額の合計は、金二八〇〇万円となる。
五 よつて、請求の趣旨記載のとおりの判決(但し、右残損害額の合計、金二八〇〇万円の内金一〇〇〇万円を、各原告につき、各五〇〇万円宛、各請求する。なお、遅延損害金は、本件不法行為の日である昭和五四年一一月二七日から支払済まで民法所定各年五分の割合による。)を求める。
第三請求原因に対する認否(被告ら)
請求原因一項1ないし4および6、二項1イ、三項1(2)(但し、金額の点を除く。)、同項2および4の各但書(但し、金額の点を除く。)、四項1の各事実をいずれも認め、その余の各事実をいずれも否認する。
第四被告川畑の主張
一 被害車修理代に対し
原告らは、被害車の修理代として、金七三万〇八八〇円を請求しているが、<1>その中には、一部品のみで金二〇万円あるいは金一三万円もする外国製のもの等が含まれており、これらは個人的、趣味的要素が極めて大きく、果して、一般的に見て、必要かつ妥当な部品といえるか否か疑義が存するのみならず、<2>原告らは、そもそも末だ、被害車を現実に修理していないので、現実の損害は、未発生というべきである上、<3>さらに、右のような高額な修理代に照らすと、被害車の本件事故当時の時価は、右修理代を下回わり、全損として処理されるべき事案ではないかと推測される。
したがつて、原告らは、宜く、被害車の本件事故当時の時価および普通の修理方法による修理代について、主張立証をなすべきである。
二 免責の抗弁(自賠法三条但書)
被告川畑は、南北に走る国道二五号線(本件道路)と交差する東西道路上を西進して本件道路上を北方に右折すべく、まず、右交差点手前で一旦停止の上、折から南進中の車両一台の通過を待ち、再び左右の安全を確認して発進右折し、安全に右折を完了したが、その際、南進(直進)してきた加害車Bと対向し、すれ違つたところ、その後に、後方でドーンとする音を聞き、引き続いて、加害車A(自車)の後部に追突のシヨツクを受けるに至つた。しかして、後刻知つたところによれば、右ドーンという音は、被害車(いわゆるナナハン)が加害車Bに衝突した時のものであり、また、右シヨツクは、右のとおり、被害車が、加害車Bと衝突した直後に、路上に転倒したため、無人の状態で暴走の上、加害車Aに衝突した時のもの、のようである。
したがつて、訴外亡俊哉には、大型高速のナナハンである被害車を高速運転の上、加害車Aに対し無理な追越しをかけようとしたか、あるいは、他の何らかの理由によりセンターラインを突破して、加害車Bに衝突した過失が存しこそすれ、被告川畑には、何らの過失も存しなかつた。
のみならず、加害車Aには、本件事故当時、構造上の欠陥または機能の障害も存しなかつた。
よつて、被告川畑は、免責されて然るべきである。
三 過失相殺の主張
仮に、被告川畑が有責であるとしても、予備的に、過失相殺を主張する。
第五被告川畑の主張に対する原告らの答弁
二を否認し、三を争う。
第六証拠〔略〕
理由
第一事故の発生
請求原因一項1ないし4および6の各事実は、いずれも当事者間に争いがなく、また、成立に争いのない乙第一号証(但し、後記採用しない部分を除く。)、昭和五五年三月頃の被害車の写真であることに争いのない検甲第一ないし第七号証、証人和田隆義の証言、原告山中高・被告川畑巖夫、同上田武男各本人尋問の結果(但し、以上四名につき、いずれも後記措信しない部分を除く。)および弁論の全趣旨を総合すると、本件事故の具体的態様等は、以下のとおりであると認められる。すなわち、本件道路は、非市街地に存する、東西に走る、アスフアルト舗装された、センターライン、外側線、ガードレール(但し、一部のみ)の各付帯する、勾配付き(すなわち、後記井筒橋の西方より同橋の西詰に向つて、約百分の三の上り勾配、同橋の東詰より東方に向つて、約百分の二の下り勾配、と各なつていた。)の道路で、その一部が井筒橋(その下に、佐保川が流れていた。)となつており、制限速度は時速五〇キロメートルで、追越のための右側部分に対するはみ出しは禁止されており、また、本件事故当時頃は、交通は頻繁で、道路面は乾燥していた。なお、本件道路に対し、未舗装の南北道路が交差(因に、本件道路より南方の部分=以下、単に、南北道路南方部分という。=は、本件道路に向つて=すなわち、南方より北方に向つて=、約百分の二の上り勾配となつていた。)していたが、右交差点付近に信号機は存せず、また、本件道路上における前方(東方または西方)に対する見通しは、良好であつたが、右記南北道路南方部分上を南方より北方(すなわち、本件道路の方向)に向つて進行した際の右(東)方に対する見通しは、前記橋の橋桁および欄干に妨げられて、左(西)方に対する見通しは、前記ガードレールに妨げられて、いずれも、不良であつた。しかして、本件事故当時頃における本件道路および南北道路の各形状、本件道路上におけるセンターライン、外側線、ガードレール、前記井筒橋欄干および前記佐保川の各位置、本件道路の東行および西行各車線の各幅員、本件道路の北端から北側外側線までの幅員、南北道路南方部分の幅員は、いずれも、別紙図面に記載のとおり(なお、メートル数はいずれも約)であつた。
さて、被告川畑は、加害車Aを運転して、南北道路南方部分上を北進(すなわち、前記約百分の二の上り勾配を登坂)後、本件道路上を右(東)折すべく、前記図面1あたりで一時停止し、ひとまず、本件道路上を西進中の一台の自動車をやり過し、その後に左右(東西)の安全を確認するため、最初に、本件道路の西方(被告川畑から見て、左方)に眼を向たところ、本件道路東行車線上を東進中の被告車を運転していた訴外亡俊哉の首から上の部分(なお、この時、訴外亡俊哉は、ヘルメツトを着用していた。)を前記図面アのあたりに目撃、単車がやつて来る旨推測(因に、前記図面1―ア間の距離は、約一二四メートルであつた。)し、次いで、本件道路の東方(被告川畑から見て、右方)に眼をやり、加害車Bを前記図面Aのあたりに認めた(因に、前記図面1―Aの距離は、約六二メートルであつた。)が、その時以降は、東西(左右)を見ることなく(特に、西=左=方の被害車に対しては、右記目撃当時に、距離が相当程度存したために、危険はないものと考えたことによる。)、発進し、時速約一五ないし二〇キロメートルで右(東)折進行し(因に、加害車Aは、前記のとおり、約百分の二の上り勾配を登坂した後に本件道路上を右折しているため、本件道路東行車線上を東進して来た被害車=すなわち、訴外亡俊哉=にとつては、加害車Aが、南北道路南方部分の上り勾配より、突然、本件道路上に飛び出して来たかのように、見えたのではないか、と推測される。)、折から本件道路西行車線上を西進中の加害車Bが前記図面Cのあたりに来た際に、これとすれ違い、その後に直進(東進)態勢に入りかけた頃、後方でドーンとする音(加害車Bと被害車との衝突音)を耳にし、急制動をかけたが、前記図面<×>'のあたりで、加害車Aの右側面の後部フエンダーおよび前部ドア各付近を順次被害車(加害車Bと衝突した後のそれ)に対し、衝突させるに至つた。なお、加害車Aは、右記<×>'地点よりさらに約一六メートル東進後に、ようやく停車した。因に、被告川畑は、加害車Aを右(東)折進行させるに際し、折から西進して来た加害車Bによつては、何らの影響もこうむらなかつた。
次いで、被告上田は、加害車Bを運転して、前記図面Aのあたり(すなわち、本件道路西行車線上)を、時速約四〇ないし五〇キロメートルで西進中、前記図面Bのあたりまで来た際、右折しかけた時の加害車Aを前記図面2のあたりに発見、その後減速して進行中、前記のとおり、前記図面Cのあたりで、右折中の加害車Aとすれ違い、その後に、前記図面イのあたりを、既に転倒中の被害車が本件道路面上を滑走(被害車の金属部分の擦過痕が、右記イ地点よりも西方から存することによつて、明らか。)して来るのを目撃(因に、前記図面C―イ間の距離は、約二四・五メートルであつた。)、直ちに急制動および左転把の各措置を講じたものの、前記図面<×>のあたり(加害車Bは、前記図面Dのあたり)で、加害車Bの右前角部付近を、被害車に対し、衝突させるに至つた。なお、加害車Bは、右記D地点よりさらに約三・四メートル西進の後、停車した。因に、前記転倒滑走中の被害車は、加害車Bに向つて、バツーと迫つて来るような状況下にあつた。
ところで、訴外亡俊哉は、被害車(いわゆるナナハン)を運転して、前記図面アのあたり(本件道路東行車線上)を少くとも時速六〇キロメートル以上で東進中、遅くとも前記図面a地点より少し手前の段階で、右折開始の段階にあつたと考えられる加害車Aを発見(因に、訴外亡俊哉にとつては、被告川畑が訴外亡俊哉の首から上の部分を目撃した時点において、既に、加害車Aの一端を発見する可能性が、存したのではないか、と推測される。)したが、前記のとおり、訴外亡俊哉の眼には、加害車Aが、南北道路南方部分の上り勾配より、突然、本件道路上に飛び出して来たかのように映じたためか、おそらく慌て、急制動およびハンドル操作の各措置を講じてしまい、被害車をして、前記図面a―a'の間(その距離は、約一一・二メートル)にわたりスリツプさせ、さらにその後に転倒させた上、前記図面b地点より以降にわたつて、その金属部分を擦過させ、前記図面イ地点(因に、前記図面ア―イ間の距離は、約一〇九メートルであつた。)を経て、<×>地点において、加害車Bに対し、衝突させ(因に、右記イ―<×>間の距離は、約一七・七メートルであつた。)、その後自らは前記図面ウ地点に投げ出されたものの(因に、右記<×>―ウ間の距離は、約三・八メートルであつた。)、引き続き、無人状態の被害車をして、前記図面<×>'地点において、加害車Aに対し、前記図面<×>"地点において、前記井筒橋欄干に対し、各衝突させ、前記図面エ地点において、ようやく転倒状態のまま停車させるに至つた(因に、右記<×>―<×>'間、<×>'―<×>"間、<×>"―エ間の各距離は、順次、約九・七メートル、約二二・二メートル、約一八メートルであつた。)。
因に、既述において、被害車の時速を少くとも六〇キロメートル以上であつたと認定した理由は、次のとおりである。すなわち、<1>制動痕の長さ(単位メートル)および道路面の摩擦係数が所与の数値の時に時速(単位キロメートル)を算出する公式は、
<省略>
である(経験則ないし公知)ところ、加害車Bの最長の制動痕の長さは約六メートル(乙第一号証参照)、本件事故当時の本件道路面(アスフアルト舗装された乾燥状態にある道路面)の摩擦係数は〇・五五(経験則ないし公知)であつたから、右公式により、加害車Bの急制動直前の時速を算出すると、約二九・二キロメートルとなる。<2>ところで、加害車Bは、前記のとおり、前記図面Aのあたりでは、時速約四〇ないし五〇キロメートル(これを平均すると、約四五キロメートル)であつたが、前記図面Bのあたりで、減速した(以上については、被告川畑巌夫、同上田武男各本人尋問の結果、各参照)ため、右記<1>のとおり、急制動直前には、約二九・二キロメートルになつていたもの、と考えられるから、加害車Bの前記A地点以降の平均速度は、次の算式により、約三七・一キロメートルとなる。
算式(四五+二九・二)÷二=三七・一
<3>さて、被告川畑は、前記のとおり、前記図面1地点において、最初に被害車を前記図面ア地点に、次いで加害車Bを前記図面A地点に、各認めているところ、右記1―ア間の距離は約一二四メートル、右記1―A間のそれは約六二メートルであつたから、仮に、被告川畑が被害車を見てから加害車Bに対して眼を振り向けるまでの間に、何程かの時間を要したと考えて、その間に被害車が東進した距離を、多目に見積つて約二〇メートル(因に、時速六〇キロメートル、六五キロメートル、七〇キロメートル、七五キロメートルの各秒速は、順次、約一六・七メートル、約一八・一メートル、約一九・四メートル、約二〇・八メートルである。)としても、結局、約一〇四メートル(一二四-二〇=一〇四)と右記約六二メートルとの間を、被害者と被害車Bとが、それぞれ、ほぼ同一時間を使用して各東進および西進した後、前記図面<×>地点で、衝突したことになるから、両車両の速度比は、一〇四・・六二≒一・六八であつたことになる。
<4>そうすると、被害車の前記図面ア地点以降の平均速度は、次の算式により、約六二・三三キロメートルとなる。
算式 三七・一×一・六八≒六二・三三
以上の理由により、前記のとおり、認定した(因に、乙第一号証によれば、前記のとおり、前記図面a―a'間の距離=制動痕の長さ=は、約一一・二メートルであり、これを基礎に前記公式により算出した被害車の時速は、約三九・九四キロメートルとなるが、被害車は、前記のとおり、右記a'地点で停車できたわけではないから、右記長さをもつて、前記認定の被害車の時速六二・三三キロメートルを覆えすことは相当でない、と考える。)。
以上の事実を認めることができ、これに反する乙第一号証、証人和田隆義の証言および原告山中高、被告川畑巖夫、同上田武男各本人尋問の結果の各一部は、いずれも、前掲証拠と対比し、採用ないし措信せず、他に右認定に反する証拠はない。
第二責任原因
1 被告川畑
イ 人損(運行供用者責任、自賠法三条)
請求原因二項1イの事実は、当事者間に争いがない。そうすると、被告川畑には、自賠法三条本文により、後記免責の抗弁(同条但書)が認められない限り、本件事故に基く原告らの各人損を賠償する責任がある。
免責の抗弁について―被告川畑は、後記口記載の過失により、本件事故を発生させたものであることが明らかである(すなわち、被告川畑が加害車Aの運行に関し注意を怠らなかつたことを、認めるに足りない)から、その余の点に触れるまでもなく、被告川畑の免責の抗弁は理由がない。したがつて、被告川畑には、前記のとおり、原告らの各人損を賠償する責任がある。
ロ 物損(一般不法行為責任、民法七〇九条)
前記第一で認定した事実によれば、被告川畑としては、南北道路南方部分を北進した際における左(西)方に対する見通しが、前記ガードレールに妨げられて不良であつたのみならず、右記南方部分が上り勾配となつていたため、訴外亡俊哉にとり、加害車Aが、右記上り勾配より、突然、本件道路上に飛び出して来たかのように見えた可能性が存したのであるから、不測の事態に備えて、左(西)方(すなわち、被害車が進行して来た方向)に対する安全確認を十二分にし、事故の発生を未然に防止すべき注意義務が存したのに、これを怠り、訴外亡俊哉の首から上の部分(ヘルメツト付)を目撃し単車がやつて来る旨推測したにも拘らず、その後は、被害車との距離が相当程度存したことに油断し、再度左(西)方を注視することなく、漫然、右(東)折進行した過失により、本件事故を発生させたものであることが明らかであるから、被告川畑には、民法七〇九条により、本件事故による原告らの各物損を賠償する責任がある。
2 被告上田(一般不法行為責任、民法七〇九条)
前記第一で認定した事実によれば、被告上田は、加害車Bを運転して、制限速度内で、本件道路西行車線内を走行中に、センターラインをオーバーして来た被害車と衝突するに至つたものであるところ、被害車を運転していた訴外亡俊哉は、おそらく加害車Aの静動に慌てゝ、ブレーキおよびハンドルの各操作を誤つたにすぎないのみならず、加害車Aを運転していた被告川畑は、右(東)折進行するに際して、折から西進して来た加害車Bによつては、何らの影響も受けなかつた(換言すれば、被告上田は、加害車Aの運行に対し、何らの関与もしなかつた)、のであるから、被告上田には、損害賠償責任を負担しなければならない程度の不注意(過失)は存しなかつたもの(すなわち、被告上田の過失を認めるに足りないもの)、と判断するのが相当であると考える。
第三損害
1 逸失利益―各金一〇八六万一〇七九円宛
(1) 計算
年収―成立に争いのない乙第三号証によると、訴外亡俊哉の本件事故前の一年間(昭和五三年一二月から同五四年一一月まで)の収入は、金一八四万六〇四七円であつたことを認めることができ、これに反するかのような同第二号証は、同第三号証と対比し、採用せず、他に右認定に反する程の証拠はない。
因に、原告ら主張の賃金センサスは、実収入の立証が不可能な時等に使用すべき統計資料にすぎないから、本件の如く、被告らによりその立証がなされている場合には、これを用いるに由なきものである、と考える。
生活費の控除割合―五〇%
就労可能年数―本件事故当時の満二一歳(争いのない事実)から満六七歳までの四六年間
新ホフマン係数―二三・五三三七(小数点第五位以下、切捨)
算式 一八四万六〇四七×〇・五×二三・五三三七≒二一七二万二一五八(小数点以下、切捨)
(2) 原告らの相続した分
請求原因三項1(2)の事実は、金額の点を除いて、当事者間に争いがない。したがつて、原告らは、訴外亡俊哉の右逸失利益に関する損害賠償請求権を各二分の一宛、すなわち、各金一〇八六万一〇七九円宛、各相続したことになる。
2 葬儀費―各金二五万円宛
原告山中高本人尋問の結果によると、原告らは、訴外亡俊哉の葬儀費として、合計、金五〇万円を超える金員を支出したことを認めることができ、これに反する証拠はない。しかして、右記金五〇万円をもつて、相当額であると、考える。
なお、請求原因三項2但書の事実は、金額の点を除いて、当事者間に争いがない。
そうすると、各原告につき、各金二五万円宛となる。
3 慰藉料―各金四九〇万円宛
前記のとおり、訴外亡俊哉が、本件事故当時、満二一歳の独身者で、自動車修理工であつたことは、当事者間に争いがなく、これに、前記認定の、本件事故の態様、訴外亡俊哉と原告らとの身分関係、その他諸般の事情を付加して、総合考慮すると、各金四九〇万円宛(但し、訴外亡俊哉の慰藉料を金六〇〇万円とし、原告らが、各金三〇〇万円宛を各相続したものとみ、また、原告らの固有の各慰藉料を各金一九〇万円宛とする。)とするのが相当である、と考える。
4 被害車修理代―各金三六万五四四〇円宛
原告山中高本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第二号証の一、二、原告山中高本人尋問の結果および弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実を認めることができる。すなわち、被害車は、昭和五一年八月に、新車として購入されたものであるが、購入後にこれに対し高価な部品が付加された結果、その費用は、新車代も含めて、金二〇〇万円程度にもなつており、本件事故直前の破損前の価格は、約金一五〇万円であつた。なお、被害車は、現実に修理されていないものの、修理業者の見積書によると、修理代として、今後、金七三万〇八八〇円を要する見込みである。以上の事実を認めることができ、これに反する証拠はない。
なお、請求原因三項4但書の事実は、金額の点を除いて、当事者間に争いがない。
そうすると、各原告につき、各金三六万五四四〇円宛となる。
因に、被告川畑の主張一につき付言すると、先ず、<1>については、被害車には本件事故当時既に高価な部品が装着されていたという事実に照らすと、本件は、破損した高級外車に対し高額の修理代を必要とした場合と異らない(因に、昭和三二年一月三一日最高裁判所判決、同裁判所同四九年四月一五日判決、各参照)、という理由で、次いで、<2>については、原告らには、今後、現実に損害が発生する見込み(高度の蓋然性)が存する(因に、その見込みすら存しない旨の証拠は、見当らない。)(なお、右記見込みを換言して、修理代相当額と表現しても、差し支えない。)、という理由で、<3>については、その主張に沿うような証拠は、見当らない、という理由で、いずれも、採用するに由なきものである、と考える。
5 総損害額―各金一六三七万六五一九円宛
第四過失相殺(但し、被告川畑に対する関係のみ)
前記第一で認定した事実によれば、被告川畑に前記過失が存したことは勿論であるが、他方において、訴外亡俊哉にも、制限速度違反(少くとも時速において一〇キロメートル以上、超過)、周章狼狽に起因するブレーキおよびハンドル操作の各不適当、これに基くセンターラインのオーバー等の、過失が存したことは否定し難く、しかも、右記過失も、本件事故の発生の一因を成しているもの、と考えられるから、前記被告川畑の過失の態様、その他諸般の事情(右折車である加害車Aの、広路である本件道路上に対する、明らかな先入、等)も総合考慮の上、原告らの各総損害額の五〇%を減ずるのを相当、と考える。そうすると、原告の過失相殺後の各損害額は、次の算式により、各金八一八万八二五九円となる。
算式 一六三七万六五一九×〇・五≒八一八万八二五九(小数点以下、切捨)
第五損害の填補―各金七〇一万三八二四円宛
請求原因四項1の事実は、原告らの自認するところであるから、原告らの右記過失相殺後の各損害額から、右記各填補分を差し引くと、各残損害額は、各金一一七万四四三五円宛となる。
第六弁護士費用―各金一二万円宛
本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、各金一二万円宛とするのが相当である、と考える。
第七結語
よつて、原告らの被告川畑に対する本訴各請求は、いずれも主文の限度で理由がある(なお、遅延損害金は、本件不法行為の日である昭和五四年一一月二七日から各支払済まで民法所定各年五分の割合による。)から正当として認容し、原告らの被告川畑に対するその余の各請求および被告上田に対する本訴各請求はいずれも理由がないから失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 柳澤昇)
別紙 図面
<省略>